時の流れと 命のつながりを感じた日

母の3回忌の法事のため 故郷 に帰りました。
先月 ザゼンソウを見に行ったばかりの田舎の町は
せせらぎの音 が心地よく響く川 の岸辺に 梅が咲き連なり
変わらない のどかさに包まれていました。

そんな風景の中で 初めは じわ~っ と ・・・
それから はっきりと実感 したこと がありました。
何十年もの時の流れと その中で 「つながっていく 命 」 のこと

今回は 若い甥夫婦が まだ生後 6か月の娘を 初めて伴って
遠方からやって来ました。
私も 親戚一同も この日が初対面 の赤ちゃん
近年の法事 などは いつも 中高年ばかりのメンバーの中で
みずみずしい 生まれたての新芽のような赤ちゃんの存在 は
まばゆいばかりに輝く光を 撒き散らしていました。

父親である甥にそっくりな女の子の その笑顔に ・・・
  私の記憶の奥底から 何かが甦ってくるような気がする 、
 何か思い出すものがあるような??  何だろう?
不意に 脳裏に浮かび上がってきた画像 がありました。
それは 私が1歳の頃の 1枚の古い写真
60年も昔の あの古い白黒写真 
捨てるはずはないけど さて 今、どこにあったかなあ?

親戚の人も この赤ちゃんに 私に似た面影がある、と言います。
血縁があるのだから 当然 かもしれませんが
これまで 数人いる甥 っ子や 姪っ子たちには感 じたことがない
感覚を 何故 初対面したばかりの この赤ちゃんに 感 じたのか?
ちょっと 不思議 な気持ちです。


60年余りも昔 
私は病院ではなく この家で 自宅出産で産まれました。
昭和 が過ぎ、平成 の時代も まもなく過ぎようとしている今
今はもう この家に 祖母も 父も 母も いなくなりました。
そんな何十年もの長い時の流れを経て
この家の子として誕生してくれた女の子

残念ながら 2年前に亡くなった母は
ひ孫 となる この子を見ることができませんでした。
その母の3回忌 の日に この赤ちゃんと初対面 し
受け継がれていく 命のつながりを強 く実感 した、と
いうのは 亡き母が導いたのかもしれない 、と 思えました。

長い時の流れを過ぎて 住んでいる人は どの家も みな
代替わり してしまいましたが 自然の原風景は昔のまま ・・・

いくつもの時代が過ぎて 人は 皆 入れ替わっていきますが
山々の連なりも 、母なる琵琶湖 の風景も
いつも変わらず そこに在ってくれる 私の故郷 です。



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のどかな田舎の駅を 特急サンダーバードが 高速で通過 します。
サンダーバードは この駅に 朝夕 数本だけ停車します。


琵琶湖の すぐ波打ち際にある広場
そこを見下ろす場所から こんな光景が目に入ってきました。
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晴天の暖かい昼時 男性が ベンチでお弁当を食べていると
1、 2、 3、 4 ・・・ なんと 9匹もの猫 たちが
ぞろぞろと集まってきました!
のらニャン だと思うけど みんな ゆったりしています。
その猫たちを スマホ撮影 している人も見えました。
ゆったりした琵琶湖 のほとりでは
人間も のらニャンたちも のどかで ゆったりしています。


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今冬は格段に 雪が少なかったですが
車窓 から見える山々の姿は
やはり 昔のままで・・・ ずっと変わりません。























この記事へのコメント

まあさん
2019年03月12日 08:32
カワセミさん

こんにちは。

親族が集まると普段は意識しない
血縁を感じることがありますね。

私のところでも、年末の父の葬儀の際に
妹の長男がかなりすごい天然パーマで、
ミケランジェロのダビデ並なのですが、
私の弟もそうで、その長女もそうでした。

そして父の若い頃の写真はまるで自分の鏡を見ているような気持ちになることもありました。

震災から昨日で8年時間が確実に過ぎていくのに合わせて人も移ろっていくのですね。

2019年03月13日 00:32
まあさんさん
郷里の実家で赤ちゃんを見るのは
甥や姪以来 20数年ぶりだった
ので より印象が強かったのかも
しれませんが 血縁の不思議さを
しみじみと思いました。

あの悲惨な震災では まあさんさん
のご親族も被災されたのですね。
時は静かに淡々と流れて行くという
事実を 時々 強く感じさせられます。